刺身を保存する?刺身を熟成させる?
最近、新鮮なお魚をさばいて食べることが何度かあった。それをお刺身にして、当日食べ、翌日に食べ、3日後に食べたりしてみた。
量が多くて食べきれないというものもあったし、お魚屋さんが「これは今日食べるよりもちょっと寝かせたほうがおいしくなるよ。」とアドバイスをしてくださったこともあって、そのような食べ方をしてみたのだが確かに味と食感が変わっていた。同じお魚なのに。
それで、刺身の熟成ということに興味を持った。熟成させた魚を出す寿司店が注目されてもいるようだ。
家庭で刺身を適切に保存して熟成させるためにはどうすればよいのか。そのことについて考えたことや調べたことを書いていきたい。
なお、熟達したプロの職人の方々の手法も調べてみたが、本記事ではあくまで家庭料理でできる範囲で考えていきたい。また、食中毒防止の観点からの衛生面も大きな課題となるが、その点について網羅的に検討したものではないので、その点御容赦ください。
また、この記事の作成にあたっていくつかの学術論文を参照したが、特に東京海洋大学食品生産科学科の髙橋先生らによる「長期熟成魚介類刺身の呈味成分およびテクスチャー」(日本水産学会誌)が参考になった。同論文は非常に示唆に富むものであって、私たち家庭料理を作る者にも楽しく、興味深く読めるものだ。是非ご覧ください。
なぜ熟成させた刺身はうまいのか?
味(呈味成分の量)
活け締めされた後、数日たった刺身は味が濃くなる。甘味、うまみをより強く感じるようになる。これは多くの人が感じることだろう。
学術研究によれば、魚の旨味成分の根幹であるイノシン酸の含有量は、魚の死の直後は極めて少ない。このイノシン酸の量は、ハマチの場合には死後4時間後ころから急激に増加して死後8時間後ころに最大値に到達する。ヒラメについては死後3日後に最大値に到達するという研究結果がある。
また、13日から31日といった超長期の熟成後には、イノシン酸の含有量が大きく減少するとのことである。これは意外な結果である。イノシン酸の含有量だけに注目すると長期熟成は望ましくないともいえるが、むしろこれはイノシン酸の含有量だけが「魚のうまさ」を決定付けているわけではないということを示すデータだ。
なお、イノシン酸以外の重要なうまみ成分である遊離アミノ酸の量は長期熟成により増加するようだ。特に、甘みを示すセリン、スレオニン、アラニンも増加するとの結果が示されている。こちらの数値については長期の熟成後も増加をしていたとのことだ。
食感
刺身は、締めた後しばらく時間が経つと、食感が落ち着いてくる。新鮮な魚の身は「ぶよぶよ」だったり「ぶりんぶりん」だったりするが、時の経過につれて舌へのなじみが良くなってくる。「ぶりんぶりん」のお刺身もおいしいけどね。
刺身の「硬さ」について、学術的には、以下の研究結果がある。多くの魚は即殺後一時的に硬くなるが、その後3時間~18時間かけて軟化が進行するとのことだ。死後3日間にわたってゆっくりと軟化し続けるもの(マダイやヒラメ)や、全く軟化を示さないもの(トラフグ)もあるようだ。
また、別の研究では、カンパチとシマアジは長期熟成によって柔らかくなったが、アオリイカとマカジキについては硬さは変わらなかったそうだ。従来は魚介類の硬さを維持する方法が模索されてきたとのことだが、必ずしも「硬い=おいしい」ということではないということなのだろう。
長期熟成により水分含有量は減少する。長期熟成を研究した例では、含有水分量が78%~67%程度にまで減少したとのことだ。また、噛んだ時に出てくるドリップの量も、長期熟成によって減少するとのことだ。これは、うまみ成分が唾液に溶け込む速度と関係し、熟成させたお刺身に強い旨味を感じることと関係がありそうだ。
香り
香りについては、いまのところ長期熟成による変化についての研究結果を見つけられていない。個人的な印象だが、さばいた直後のお刺身よりも、しばらく時間が経った方が魚臭さは減っているように思う。さばいた時の魚の臭いが手についているだけかもしれないが(〃艸〃)。
見た目
つたない写真で申し訳ないが、先日自作したヒラメの刺身の時間経過による変化である。
さばいた直後は透明度が高いように思う。時間が経つと表面がやや琥珀色を帯びてくる。このあたりは保管・熟成の方法によって変わってくるのかもしれない。
このヒラメをさばいたときの経験が、今回の記事を書くきっかけとなった。ヒラメをさばいた記事もぜひ以下のリンクでご覧くださいませ。
衛生面の問題
さて、魚の生食には食中毒のリスクがある。特に自分で魚をさばき、一定期間保存する場合にはそのリスクと十分に向き合う必要がある。
腸炎ビブリオなど-細菌型・ウィルス型の食中毒
腸炎ビブリオやO-157、ノロウィルスなどによる食中毒も魚の生食では問題となる。
基本は、手をよく洗浄し、調理器具の洗浄・消毒を徹底することと、食材の温度管理をしっかりとすることだ。
魚をさばいて刺身を作るときに、気を付けなければいけないな、と思ったことがいくつかある。これまであまり気にしていなかったが、「まな板を使用前に流水でよく洗い流す」ということは腸炎ビブリオへの対策として重要であることだ。腸炎ビブリオは海水中に普通にいる細菌で、常温の環境でも活発に増殖する。しかし、水道水(真水)には弱いため、まな板を水道水で洗い流すことは除菌の効果が大きいとのことだ。あと、短い時間であってもマメに冷蔵庫に入れることも重要だ。
アニサキス-寄生虫による食中毒
生きたアニサキスを食べてしまうと激しい胃痛などに襲われるアニサキス症を発症することがある。この問題への対処については別記事があるのでぜひご覧ください。
具体的な手順
魚をさばく
できる限り迅速にさばく。魚の温度を極力上げないようにする。清潔な調理器具を使用する。
鱗とエラ、皮をキレイに取り除く。これらの部分には雑菌が付着している可能性が高く、食中毒の原因となりうる。また、食味の面でも望ましくない臭いが発生する原因となる。
また、血をできる限り取り除く。血合い(中骨の下に位置する魚の腎臓)はしっかりと取りたい。これも臭いの観点から重要である。血合いを取る際にはしっかりと魚を洗浄する。もっとも、長時間水に触れさせると味が落ちるので、手早く行うことが望ましい。
長期熟成寿司店が用いる保存・熟成方法
食味の向上のためには、魚臭さの原因となる魚の体液と脂を適切に取り除くことが重要である。
魚を長期熟成させる寿司店では、魚種によって取捨選択した以下のようなプロセスを組み合わせて熟成をさせているとのことだ。
① 食品用ホタテ貝殻由来除菌剤でサクの表面を拭く
長期熟成をする寿司店ではこの方法を取ることがある。長期の熟成をする場合にこの処理がされることがあるようだ。腸炎ビブリオをはじめとする細菌やウィルスを除菌する目的だと考えられる。食品用ホタテ貝殻由来除菌剤は、平成19年に「貝殻焼成カルシウム」として食品添加物と認められており、人体にも安全な除菌剤であるとのことだ。
食品に直接塗布して雑菌を除去することができるのは家庭料理にとってはありがたい存在だ。食味にどのくらい影響があるのか試してみたい。
② 調理用ペーパーとラップで包む
調理用ペーパーで包み、さらにラップで包んで冷蔵保存。一日ごとにペーパーとラップは取り換える。なお、寿司店では1℃や3℃という温度で保存しているとのことである。
ペーパーで覆うのは、魚から出てくるドリップ(体液と脂)を吸収して魚に戻らないようにするためである。まめに取り換えないと、魚臭さの原因となるドリップが身に戻ってしまうので、常にペーパーが乾燥した状態をキープしたい。
ラップは身が乾燥してしまうことを防ぐためである。
③ 超長期熟成の場合の塩締め
20日とか30日といった超長期の熟成を行う場合には、熟成開始後10日ほど経過した時点でサクを塩で覆う処理をすることもあるようだ。
① シマアジの場合:10日間熟成させた後、サクを塩で覆う。覆う時間は30分。その後、流水で塩を流してさらに10日ほど熟成させた後に表面をトリミングする。
② マカジキの場合:10日間熟成させた後、サクを塩で覆う。覆う期間は10日間。その後は、表面をトリミングしてさらに10日間熟成させる。
これらの処理によって、内部の水分量が低下し、若干の塩味が加わるようだ。家庭でここまでの長期間の熟成をすることはなかなかない(というか危険)と思われるが、短期の熟成の場合であっても参考になるかもしれない。なお、この場合のトリミングには極めて熟練した技術が必要であるとのことだ。
家庭でのその他の保存方法(昆布締め、ピチットシート)
魚の体液を適切に取り除くための方法としては、家庭で行いうる方法として①昆布締め、②ピチットシートの利用も選択肢だ。
① 昆布締め
板昆布に魚のサクを挟んで一日(24時間)程度脱水するという方法がある。昆布締めには結構強力な脱水効果があるので、昆布締めが終わった直後は表面の食感が変化していることがある。適度な脱水をするには、経験が必要だろう。
水分量をコントロールする方法としては、板昆布を事前に酢や酒などで湿らせるという方法がある。また、昆布締めにする時間をコントロールすることで過度な脱水を防ぐことも重要であろう。
② ピチットシート
ピチットシートは浸透圧を利用した脱水シートだ。これを使用することで魚から適度な水分を除去することが期待できる。また、昆布締めのように昆布の風味がついてしまうということもない(昆布の風味は好きだ。)。
これまでに発表された学術論文においても、ピチットシートには鮮魚の水分を除去する効果と鮮度を保持する効果が確認されている。
刺身の保存と熟成は、水分量のコントロールが大きな課題の一つである。最適な方法が何かについては、魚種や魚の状態によって変わるため、試行錯誤していくしかないだろう。
学術論文において紹介された刺身の熟成の方法
さて、先に紹介した東京海洋大学の髙橋先生らの論文では、「通常寿司店が用いている」熟成方法によって得られた資料をもとに数々の測定、分析が行われている。この熟成方法は非常に興味深く、本記事の作成にあたって大いに参考にさせていただいた。以下では論文に記述された寿司店が用いている寿司ネタの熟成方法について、紹介する。ネタはカンパチ、アオリイカ、マカジキとシマアジである。
カンパチ
9.8kgのものの頭、内臓、尾を除去しフィレ(三枚おろし)にする。
食品用ホタテ貝殻由来除菌剤(シェルバイタルクリーン、サンケイグローバル株式会社)で表面を拭く。調理用ペーパーで包み、さらにラップで包んで1℃の冷蔵庫で13日間熟成。調理用ペーパー及びラップは毎日交換。
アオリイカ
カンパチと同様に処理する。1.6kgのもの。外套筋を使用する。
マカジキ
2.0kgの背側筋肉ブロックを使用。
調理用ペーパーで包み、1℃で10日間熟成。調理用ペーパーは毎日交換する。
その後、約100gの塩で覆い、再度1℃で10日間熟成。
その後、表面を2-5cm程度トリミングし、切り出した中心部を調理用ペーパーで包み1℃で11日間熟成。調理用ペーパーは毎日取り換える。
シマアジ
2.0kgのものを使用。頭、内臓及び尾を除去しフィレに。
調理用ペーパーで包み毎日取り換えながら1℃で10日間熟成。
その後、残っていた骨と皮を除去し、100gの塩で30分間覆い、その後塩を水道水で洗い流す。
表面を拭いたのち、調理用ペーパーで包んで取り換えながら3℃で7日間熟成。
さらに表面を1cm程度トリミングし、調理用ペーパーで包み毎日取り換えながら1℃で7日間熟成させる。
刺身の熟成の今後
魚をよりおいしく食べる方法としての刺身の熟成は、家庭料理にも取り入れていきたいものだ。もっとも、衛生面の問題や、食中毒のリスクもあるので、無理は禁物である。家庭でできる適切な範囲の熟成を今後いろいろと試していきたい。おいしいお魚を食べるための努力は惜しまない。
また、魚の長期熟成は、解決すべき課題はあるものの、水産物の有効利用やの海外輸出にも貢献しうる技術となる可能性もあるとのことである。今後どのような技術的な展開があるのか、これにも注目していきたい。
参考文献
厚生労働省・消費者庁『第9版食品添加物公定書(2018)』https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/0000192874.pdf
東京都福祉保健局「腸炎ビブリオ(Vibrio parahaemolyticus)」https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/micro/tyouen.html
東京海洋大学食品物性学研究室公式ブログ「熟成魚に関する研究論文が日本水産学会誌にオンライン早期公開されました。普通のお刺身との違いがわかるかも?」https://seafoodscience.jp/zyukuseigyo-ronbun-2020/
南 駿介, 髙取 宗茂, 白山 洸, 沖田 歩樹, 中村 柚咲, 髙橋 希元「長期熟成魚介類刺身の呈味成分およびテクスチャー」https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/86/5/86_20-00014/_article/-char/ja
呉 依蒙, 張 佳琪, 石 奇立, 蛯谷 幸司, 今野 久仁彦「ヒラメ肉低温貯蔵中の二相的な IMP 分解」https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/82/3/82_15-00051/_article/-char/ja
村田 道代, 安藤 正史, 坂口 守彦「魚肉の鮮度とおいしさ」https://www.jstage.jst.go.jp/article/nskkk1995/42/6/42_6_462/_article/-char/ja/
手前板前「魚の保存法」https://temaeitamae.jp/top/t5/aaa/handled.fish.7.html
濱田 奈保子, 小林 武志, 今田 千秋, 渡邉 悦生「脱水シート包装による鮮魚の鮮度保持」https://www.jstage.jst.go.jp/article/nskkk1995/49/12/49_12_765/_article/-char/ja/